アリーナ・ザギトワ
誕生日
2002年05月18日
出身地
イジェフスク
身長
158 センチメートル
星座
金牛宮
非常に美しい女の子であり、驚くほどの成功を収めたフィギュアスケート選手。アリーナ・ザギトワをひと言で説明するとこうなるだろう。彼女は15歳でオリンピックチャンピオンになり、シニアとしての初めてのシーズンとなった2017-2018シーズンでは、国際スケート連盟(ISU)の女子ランキング1位となった。彼女のストーリーはまるでおとぎ話のようだ。
彼女はまもなく、まだ唯一達成していない頂点である世界選手権優勝の座を日本のさいたま市で獲得しなければならない。他の称号(グランプリシリーズ優勝、ヨーロッパ選手権優勝、オリンピック優勝)はすべて16歳という若い年齢ですでに獲得しており、その成功の秘訣を彼女の経歴に探したくなってしまう。若い才能の根源はどこにあるのだろうか。
アリーナ・ザギトワは2002年5月18日、沿ヴォルガ地域とウラル地域の学術教育と文化の中心都市であるイジェフスク市に生まれた。民族的にはタタール人である。両親が初めての子どもに選んだアリーナという名前は、アンゲリーナの省略形である。また、アンゲリーナとは「天使」という言葉から派生したものであり、どんな女の子にもピッタリのように思われる。しかし、彼女の両親は、ほぼ1年にわたって赤ちゃんの名前を選ぶことができなった。ところがある日、彼らは有名な体操選手アリーナ・カバエワの演技をテレビで見て、すぐにこの名前を娘に付けようと決心したのである。
アリーナ・ザギトワの家族はスポーツ一家である、父親はアイスホッケーの監督、母親もかつてfフィギュアスケートに没頭していた。アリーナにとって、5歳の頃から続けているフィギュアスケートの授業は、よくある休日のエンターテインメントだった。大人はアリーナに常にスポーツをするよう強制することはなく、彼女自身に選択肢を与えていた。小さい頃のアリーナは何度かスケートをやめて、絵を描くことに本気で没頭したこともあった。しかし、彼女はフィギュアスケートを完全にやめることはできなかった。そして、7歳のとき、アリーナはスケートで大きな成功を収めるようになり、この競技に専念することになったのである。
アリーナが2007年から2015年まで通ったイジェフスク青少年スポーツ学校では、アリーナの最初のコーチであるラリサ・サニナとナタリヤ・アンチピナが彼女に知識とスキルの基礎を完璧に仕込んだ。
しかし、彼女の指導者たちは時とともにアリーナのさらなる進歩のためには競争が必要だと感じるようになり、彼女の両親は娘をジェフスクからモスクワに移住させるという困難ながら、唯一の正しい決断を下した。その2015年に、アリーナは最も人気のあるコーチのひとり、エテリ・トゥトベリゼと出会った。
ロシアの首都を生き抜くことは時として簡単ではないことを描いたオスカー受賞作のソビエト映画 『モスクワは涙を信じない』が自然と思い出される。アリーナもまた相当の涙を飲んだ。というのも、彼女はモスクワでのトレーニングを始めるとすぐ、2つの大怪我をしたのである。最初は腕を骨折し、その後、足を骨折した。アリーナは歩く練習から始めなければならなかった。彼女が回復した後、両親はアリーナをイジェフスクに戻すことに決めたが、その前に、指導に対する感謝を込めてエテリ・トゥトベリゼに花束を持って挨拶に行った。しかし、当初から才能のあるアリーナに大きな可能性を見出していたコーチは、もういちど最初からやり直すことを提案した。アリーナはこれに同意し、特別な熱意をもってトレーニングに取り組み始めた。それが実を結んだのである。
2016年1月にはザギトワはすでにロシア・ジュニア選手権に出場していた。審査員は柔軟性と難しいプログラムに感銘を受けた。コーチは、デビュー戦での9位はプロとしてのキャリアにとって良いスタートとなると考えた。そして、実際にそのとおりになった。フランスでのジュニアグランプリ大会では、自信あるスケートと極めて難しいジャンプエレメンツで、早くも優勝を勝ち取ったのである。成功は仏マルセイユでのジュニアグランプリ・ファイナルでも続いた。アリーナはライバルに一切のチャンスを与えない鮮明な演技を見せた。
翌年2017年9月、アリーナはイタリアのロンバルディア杯で初めてのシニア大会に出場することになった。ここでも1位となり、彼女のトップ選手としての資質は揺るぎないものとなった。その後の中国でのグランプリ大会では、新しいプログラム「ドンキホーテ」を披露し、再び優勝した。まさにこのプログラムでアリーナは2018年のヨーロッパ選手権で優勝し、平昌オリンピックで表彰台のトップに登ったのである。このほか、2018年にアリーナはショートプログラムで世界記録を樹立した。このように、2017-2018シーズンはアリーナにとって特に重要なものとなった:一気に複数の主要なタイトルが彼女の業績に加わったのである。
アリーナ・カバエワ: ザキトワ選手には注目してきましたし、特別な感情を抱いています。彼女はとても魅力に溢れ、才能があります。次々と勝利を収めているのはもちろん、私にちなんで名づけられたからではなく、彼女が明確な目標に向かって努力を惜しまない人間だからです。こうした資質は、両親や指導者らの躾けのたまものです。ですからザキトワのようなスター選手を私たちにもたらしてくれた彼らに、私たちは感謝しなければなりません。
アリーナ・カバエワ
しかし、スポーツで素晴らしい成績を上げたときにしばしば見られるように、勝利の絶頂の後には不調が続く。ミラノで開催された2018年の世界選手権では、アリーナは何度か転倒してしまい、わずか5位にとどまった。専門家はこの状況を、多くのアスリートがオリンピック後に空虚感を感じると説明している。それだけ大きなパワーと情熱をオリンピックにつぎ込んでいるのだ。ミラノで失敗した演技の直後、アリーナがながした苦い涙はテレビカメラに捉えられ、すべてのフィギュアスケートファンが目にすることとなった。後にアリーナ自身は、あの涙はコーチのエテリ・トゥトベリゼを失望させた悔しさの涙だったとジャーナリストに説明している。
しかし、彼女は『モスクワは涙を信じない』の皮肉な真実を確実に体得している。2018-2019シーズンでは、過去の勝利が偶然ではなかったことを証明しようとしている。勝利はマチマチなものの、彼女はそれをうまくこなしている。なにしろ少し前までは非常に才能ある少女だったのが、今は16歳の美しい女性となり、体も急速に成長している。専門家はまさに、この成長こそが、彼女のジャンプが以前のように安定していない理由だと説明している。しかし、失敗はアリーナ・ザギトワを強くしただけだ。彼女は以前と同じように自分の強さを信じており、ミスから学び、勝ちに行っている。
「1番のライバルは自分。世界最高記録のスコアを追っているわけではありません。競技でリンクに出る前はおそらくドキドキしているとは思いますけど、一度滑り出しのポーズをとってしまえば、心配は消えます。ライバルたちの成績はスタートのときは気にしません。少なくとも一切注意を向けないようにしています。」
アリーナ・ザギトワ
ザキトワ選手の成長は実に苦しい道のり となりました。調整が上手くいかない状態はまだ今でも続いていま す。すべての問題を克服したとは言えませんが、 克服に向かって進んではいます。 それでも簡単なことではありません。

必要なトレーニングは全部こなしたのに、 一歩も前進できずに同じ場所で空回りしていた時期もありました。 全力で疾走しているのに、1センチも前に進めないのです。

身体の変化から、アリーナは今、正常にジャンプを飛ぼうとすると 、その前に毎回30分から40分のトレーニングを行わないといけ ません。彼女の新しい身体では、まだ筋肉がジャンプを覚えこんで いないのです。
エテリ・トゥトベリーゼ
モスクワの新しい家では、愛情あふれた祖母がいつも彼女を待っている。両親はイジェフスクにとどまらざるを得なかった。そこで今度は次女がフィギュアスケートをやっているのだ。妹にとってアリーナはアイドルである。かつて体操選手のカバエワが彼女自身にとってスポーツでの目指すべき存在だったのと同じように。

スポーツ以外では、本人が語ったところによると、平昌オリンピック金メダリストは素敵な洋服を着ることが大好きで、ファッションに興味を持っているという。フィギュアスケートを引退することは、今のところ考えてもいないが、近いうちに、スポーツ分野で学位を取得することを計画している。また、若いアスリートは将来、日本食のレストランビジネスを開くことにもやぶさかではない。なぜなら、訪日後、寿司が彼女の好きな食べ物のひとつとなっているからだ。10年後には、日本人旅行者がモスクワでオリンピック金メダリストのアリーナ・ザギトワ本人がつくった寿司を味わうことになるかもしれない。
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