1999年3月24日に始まったNATO軍によるユーゴスラビアへの攻撃は、ボスニア紛争の際のスルプスカ共和国(ボスニア・ヘルツェゴビナの構成体の一部)への砲撃に引き続き、加盟国の外で行なわれた2回目の軍事介入となった。
主な空爆の対象となったのは、軍事施設であると宣言された。
しかし空爆の結果、2万5千軒もの住居、道路470キロメートル、線路595キロメートル、38の橋が破壊された。14箇所の飛行城、40近い病院や診療所、100近い学校や幼稚園、176の文化施設も被害を受けた。
セルビア側の評価によれば、爆撃の対象となった施設のうち38パーセントが民間用施設であった。