「日本には何度でも戻ってきたい!」
フィギュアスケートのマリア・ソツコワが五輪代表権の競争、大人になること、そして日本のファンについて語った













18歳のマリア・ソツコワは、韓国の平昌オリンピックでロシア代表となる名誉を与えられた3人のフィギュア選手のひとりである。マリアが、オリンピックの教訓、振付師になるという夢、日本への愛についてスプートニクのインタビューで語った。


マリアの家族にプロのアスリートはいない。 しかし、彼女は4歳にもならないときに、単に健康のためにスケートを始めた。家族はスポーツでの実績やメダルなど考えもしなかった。それにもかかわらず、彼女は毎年、モスクワのジュニアスポーツスクール「ユキヒョウ」でスケートのスキルを磨いていった。そして、2013〜2014年には、ジュニアグランプリで決勝に進出して優勝するという素晴らしい結果を出した。先に控えていたのは、シニアの大会、そして2018年の最大の成果は平昌オリンピックへの切符だった。
「競争は激戦だった」
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「オリンピック予選の全大会で、私は直前に眠りにつき、ひとつの考えを持って目を覚ましていました。オリンピックに出場するという考えです。そして、競争は激戦だったものの、私の夢は実現しました。残念なことに、オリンピックで私は悔しいミスをしてしまい、それ以上の上位を狙うことができなくなりました。しかし、いずれにせよ、オリンピックに出場したことは貴重な経験であり、そのおかげで私はより強くなりました。そして、クロード・ドビュッシーの「月の光」の音楽を使ったフリー演技は、長く私の記憶に残るでしょう。最初は新しい試みをしたいと思いましたが、コーチはいつもうまくいっているクラシックにすべきだと主張しました。」

マリアのクラシック愛は、チャイコフスキーの「白鳥の湖」で踊りたいという想いにもつながった。
スプートニク:
なぜこの曲にしたのですか?アリーナ・ザギトワ選手と比較されるのは怖くありませんでしたか?
マリア:
私は昔から、氷上で白鳥か黒鳥になることを夢見ていました。けれど、最終的には、単にチャイコフスキーの音楽にあわせてワルツを踊る女の子になることに決めました。しかも、私のプログラムにバレエのチュチュは明らかに合いませんでしたし。ですから、アリーナのイメージと私のイメージとでは、チャイコフスキーの音楽を使っているということ以外には、なにひとつ共通点はありませんでした。
最新ニュース
ジャンプ、資格年齢、メドベージェワがトゥトベリゼを離れることについて
スプートニク:
現在、ISUがプログラムの後半での複雑なジャンプを制限するというトピックが活発に議論されていますが、この新ルールについてどう思いますか?
マリア:
ISUの新しい規則は、プログラムを技術と芸術の両面でバランスの取れたものにする助けになると思います。けれど、いずれにせよ、選手の表彰台までの道のりが楽になるわけではありません。というのも、追加点を獲得したいと思えば、結局はプログラムの最後に最も複雑なカスケードを持ってきて跳ぶしかないからです。ミスをしないように、転倒しないようにするには、多くのパワーが必要ですが、フリー演技の終盤は通常、もうものすごく疲れています。
スプートニクは、フィギュアスケートの資格年齢を高めるというセンセーショナルな問題(アリーナ・ザギトワは15歳でオリンピックチャンピオンになったが、彼女でさえも、より若い13歳のロシア人選手、ジュニア世界選手権で優勝したアレクサンロラ・トゥルソワが大きなライバルになる可能性があるのだ)についてもマリアにコメントを求めた。マリアは、このような懸念は十分に根拠あるものだと考えている。なぜなら、年若いフィギュアスケート選手にはまだ精神的な「重責」がないため、大きな大会で滑るのが容易だからだ。 「この容易さが、若い選手がどんどんトップに出てくる理由のひとつです。私は、ジュニアの女の子はジュニアの女の子と、大人の女性は大人の女性と一緒に滑るのが公平だとおもいます。私は自分がすでに大人の女性だと言い切ることはできませんが、やはり18歳はジュニアの15歳とは違います。」

スプートニク:
最近、ロシアのプレスはメドベージェワがトゥトベリゼから離れたことを大きく伝えています。大きなスキャンダルになっています。あなたは誰の側の言い分が正しいと思いますか?
マリア:
コーチと選手の関係で最も重要なのは信頼だと思います。二人の目標と夢は一致しなければなりません。しかし、彼らも他の人と同じように普通の人間です。最高のタンデムであっても壊れることがあります。しかし、私ならこの件で誰か一人を責めることはしません。私たちはコーチの仕事も選手の選択も、どちらも尊重しなければなりません。
次は日本について語って!
「日本は、いつも、何度でも戻ってきたいと思う国です。なぜなら、とっても幸せな思い出があるからです。私が初めてジュニアグランプリファイナルで優勝したのがこの国でした。素晴らしい気分でした。多くの友人が私より以前に日本を訪れ、日本についてたくさん興味深いことを話してくれました。私は、できるだけ早く日本に行きたいと夢見ながら、日本についての本を読むようになりました。そして、最終的に日本に来ることができたとき、私は嬉しくて有頂天になりました。大会後は福岡で自由時間があり、とても楽しかったです。私にとっては何もかもが新しく、珍しいものでした。日本人は親切で感動しました。いつも笑いかけてくれて、それがたくさんのプラスの感情を生みました。このような素晴らしい雰囲気の中では、自分も自然と笑顔になります。ロシアに帰ってからも1ヶ月間は、日本でみんながやっているように、周りの人に笑顔で挨拶をしていました。」

あるとき、マリアは日本のファンから大量のぬいぐるみとプレゼントをもらい、スーツケースを買い足すことになった。「私は日本に来るとき、いつもプレゼントをたくさんもらう心づもりをしています。スーツケースをもうひとつ購入し、超過荷物料金を支払うことになります。私にとって特別なものは手元に残して、残りのぬいぐるみは児童福祉施設に寄付して、親がいないまま成長していく子どもたちにプレゼントしています。」
マリアは、日本で人気のショー「Magic of night」のゲストとして来日し、その後、自分が少し日本人になったような気がしたことを懐かしく思い出した。「ショーが終わった後、私たちは市長との公式会談に招待されました。会談が始まる前に、私たちは浴衣を着せてもらいました。着付けにはとても長い時間がかかりました。浴衣を着るのは簡単ではないことが分かりました。けれど、とても魅力的なプロセスで、アシスタントの動きひとつひとつを興味深く観察しましたが、自分で繰り返すことはおそらくできません。浴衣で歩くのはそれほど難しくありませんでした。もっと難しかったのは下駄を履いて歩くことでした。」
マリア・ソツコワのインスタグラムには、日本の羽生結弦選手と樋口若葉選手の写真が載っている。マリアは言う。「私は日本のフィギュアスケート選手が好きで、彼らに感嘆しているので、可能なときには彼らと交流しています。彼ら皆、目標に向けて一途な、才能ある選手であり、コミュニケーションの面では人懐っこくて陽気です。しかし、顔を合わせるのは大会だけのことがほとんどで、残りの時間は、SNSを通じてニュースや感じたものを共有しあっています。」
将来の計画
「私は一人でいることが大嫌いで、常に皆と一緒にいたいと感じています。幸いにも、私はとても社交的な性格なんです。自由時間があるときは、まず劇場に行くことや、友人や大切な人たちと博物館や展覧会で新しいものや興味深いものを見ることを考えています。」
オリンピックシーズン後、マリアは学校を卒業し、振付家になる夢のため、舞台芸術大学GITISに入学書類を提出した。彼女はこれまで通り、人生の大半をフィギュアスケートに費やすつもりだが、GITISでの勉強は新しい知識を得て、新しい友人を作るのに役立つと考えている。
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