「私たちは吐き気を催すが、彼らにとっては新発見」
ロシア発ストリートファッションが日本進出









ロシア人デザイナー、ゴーシャ・ラブチンスキーのストリートスタイルは数年前、世界のデザイナーを恋に落とした。これに続き、キリル文字が書かれた服が欧米でトレンドに入り、日本でもブームになった。今年7月14日、森一馬氏により原宿で、奇抜でスタイリッシュなロシア発ブランドを集めたショールームがオープンした。ロシアンモードの潮流について、森氏とロシア人デザイナーがスプートニクに語った。
BUNKER
夜遅く、原宿。変わった服装をした数十人の若者たちが次々と看板も目印もない小さな扉の向こうに消えていく。そのなかにはロシアブランドのショールーム「BUNKER」(地下壕)開店記念パーティー。内装は完全に名称に一致している。灰色に塗られた壁、蒸し暑さ、そして至る所に伺えるソ連のシンボル。訪れた若者たちは満足げにガガーリンやソ連旗をバックに写真を撮っている。
オーナーである森氏は展示するデザイナーらの魂と哲学を正確に伝えることに成功している。「ロシアのファッションは面白いと思います。国の雰囲気などのメッセージが感じられるブランドが多いから。ロシアのブランドは、見てすぐにロシアだってわかるし。もちろんキリル文字を使っているというのもあるんだけど、それじゃなくてもメッセージが強かったりとか、政治的なメッセージをつかったりとかで、文化が感じられるから面白い」
そう語る森氏は、背中の「Спутник 1985(スプートニク1985)」を楽しそうに示す。 森氏がロシアや東欧のブランドを販売し始めたのは数年前。ネットショップ「UGGLA」から始めた。
森氏は、ソ連やポストソ連のアヴァンギャルドが日本で新たな人気のピークを迎えていると確信しており、ロシアのデザイナーについて詳しく語る時が訪れたと述べる。「政治的なメッセージやアヴァンギャルドの要素が入ってるのが強い特徴ですね。自分たちはアーティストであるという意識が強いです。高校生でトルストイ読んで、ドストエフスキー読んで…という積み重ねがあるから。送ってくるブランドがそのシーズンのコンセプトをどわっと書いてくることが多くて、こういうことはヨーロッパの他の国にはあまりないですね。自分のコンセプトを明確にして、今回はこういうコレクションにするとはっきりしているので、僕らもお客さんに伝えやすいですし、面白いですよ。」
「私たちはいつもモノを雑巾のように受け止めていた」
BUNKERで楽しい時間を過ごす日本の洒落者たちから離れたところにロシア人男性が立っている。緊張した眼差しからは、居心地の悪さが見て取れる。彼はパーティーのメインゲストの1人で挑発的なブランド「SS**YA TRYAPKA」(※編集部注 報道に適さない用語を含んでいるため、ブランド名称を完全に表記することはできません。以下、「SsTr」)のデザイナー。 森氏と古くから親交があり、ショールームの壁の一面のデザインに同意した。デザイナーは次のように語る。

「残念ながらロシアではまだ、もはや誰もがうんざりしている黒いダメージ加工の服の流行りがまだ終わっていない。だが何か鮮やかで興味深いことをする必要がある。キリル文字の流行りはゴーシャ・ラブチンスキーから始まったと思う。キリル文字と90年代ロシアの流行りは海外にとっては新奇なものだった。日本人にとってこれは全く違ったもので、何か違う惑星だ。私たちにとってこれは子供時代で、これは全て自分の目で見てきたし、全てに吐き気がするほどうんざりだった。だが彼らにとっては発見だったんだ。」
1986年の春コレクションを身にまとったモデル
デザイナーは芸術に接するようにモードに接する。あらゆるものが一種のアートの対象である。見る人が芸術家の人格に気を逸らさず、純粋に芸術を見られるよう、「SsTr」チームは意図的にデザイナーの名前を伏せている。第1コレクションはセクシュアリティと挑発に満ちていた。アダルト雑誌に掲載できそうな一場面がセーターにプリントされ、「嘔吐」のような目に飛び込む文字がTシャツを飾る。
第1コレクションのルックブックに寄せる前書きに、彼らは次のように書いた。 「モード産業は私たちに嫌悪の情を引き起こす。垂れ下がる黒いボロには腹いっぱいだ。マスマーケットとモノクロの群衆の単調さには反吐が出るし、デザイナーブランドの綺羅びやかさには吐き気がする。ニセモノ、安物のオンライン人気、強迫観念的に培養されたポルノ的セクシュアリティ、エセ急進的問題が支配する社会には吐き気がする。我々の第1コレクションVOMITの研究対象となったのは、社会を覆う深い実存的危機であり、インスピレーションの源になったのは我々が生まれ育った90年代の感触と思い出である。」
つまり、ロシアブランドの美しさとは、その醜悪さにあるということだろうか?

「大量生産で安いファッションを作ることにアンチというブランドです。ファーストシーズンはとてもセクシーでした。アートには美しい面と醜悪な面があるんですけど、これは汚い面を使って美を表現するというコンセプトですね」と森氏はこの仮説を認める。
幼年時代へのノスタルジー
90年代モードへのノスタルジーはキリル文字のモードのように、ゴーシャ・ラブチンスキーとブランド「ヴェトモン(VETEMENTS)」を作り出したデムナ・ヴァザリアを端緒に、世界的トレンドになった。現代のロシア若年層にとって90年代とは、味気ないソ連製セーター、絨毯をバックにした家族写真、ボルドー色のジャケットを着た有名犯罪者たちの思い出だ。ソ連とポストソ連の贅沢品のシンボルである絨毯は、BUNKERの床に敷かれている。とはいえ、日本の購入客が絨毯を敷く理由を理解することはないだろう。
「SsTr」の創設者に、日本で服も哲学も理解されない可能性について恐れていないのかを尋ねた。「日本では鮮やかで目に飛び込んで来て、カラフルなもの、特にプリントやセーターに反応しているように感じる。そこに何が書かれているかは重要ではなく、ただカッコよく見えるだけだ。日本では私たちの文字を認識する人は少ないだろう。誰もロシア語を話さず、彼らにとって大差ないことだ。彼らには何か多数を占める服の海の中で違いを出すもの、服を通してアイデンティティが示されるよう彼らを際立たせる何かが重要なのだ。芸術に関しては、関心がある人はバックグラウンドを調べるか、自分で考えるだろう。見る人の受容も非常に重要で、これは芸術の50%に近い。」


パーティーは終わりに近づいている。ほろ酔い加減の珍しい服をした若者たちは次々と手に袋を、顔に笑みを浮かべてBUNKERから出ていく。明日には東京やインスタグラムでよくわからない言葉で書かれた美しい流行りのプリントがなされたお洒落なレインコートやカバン、Tシャツを見ることができるだろう。
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