ロシアより愛をこめて
ロシアの花嫁、あやめまつりに初めて参加
茨城県にとって、梅雨の季節は観光の最盛期だ。6月全体を通して、茨城県ではアヤメが花を咲かせ、有名な「あやめまつり」が潮来市で開かれる。今年は、ロシア出身の花嫁が初めて、「嫁入り舟」の行事に参加した。花嫁はスプートニクとのインタビューで、祭りから自身が受けた印象や日本人と結婚することの特殊性、日本の結婚式の難しさについて語った。
タマラ・ソイキナさんは、日本で7年にわたって生活している。ロシア文化の愛好者にとって、タマラさんはインスタグラムアカウント「オモシロシア」を立ち上げた人物として有名だ。昨年9月、タマラさんは日本人男性と結婚した。2人は今年、祭りでの嫁入り舟参加に向け、厳しい選抜を通過できた国際夫婦29組の一組となった。
潮来花嫁さん
花嫁とその嫁入り道具を未来の夫の家に運ぶという、潮来市民の古くからの伝統を謳った歌が、このように呼ばれている。1960年代まで、この儀式は日常生活の一部であり、現在でも水郷町の多くの人々の間に存在している。ある時、花嫁を運ぶ光景が「潮来花嫁さん」に登場し、潮来市について日本中で知られることになった。既に1970年代に、筑波大学の学生たちが伝統に新たな命を吹き込むことを決意し、現在では日本全国だけでなく、海外からも新婚夫婦が参加を望む祭りを創設した。 この行事の内容は、白無垢衣装の着物を着た花嫁が、自らの両親や仲人たちに伴われて、自宅から小舟に乗って夫に会いに行く、というものだ。この儀式は、欧州のバージンロードにたとえることもできるが、行事が行われるのは水の上である。
922日=国二つ
「夫と私が知り合ったのは3年前、共通の友達を通じてでした。私たちは1年間交際し、去年9月に結婚しました。その日は9月22日で、日本語で読むと『く(9)、に(2)に(2)』、または『国二つ』となるのです。
夫の両親には私に関して、何らかのステレオタイプや心配があったと思いますが、私たちが夫の両親としばらく直接話をしたところ、共通の言葉を見出すことができました。私は夫の両親をとても尊敬しています。素晴らしい人たちで、私にとって大きな助けになっています。夫の母は、私に日本料理を教えてくれます。どれもとてもおいしいです。でも初めは、もちろん、不安でした。私たちがこれから家族を作るともう決めてから、両親の意見を尋ねる必要があったのですから。
私はもう7年間、日本に住んでいます。ですから私の両親は、私がきっとここで家族を作りたくなるだろうと、多分、察していたのでしょう。結婚式の直前に、私と夫はロシアへ行ってきましたが、両親からは何のクレームもありませんでした。ここでは民族性よりも、個人としての接し方がより大きな役割を果たしているのだと思います。 」
「私たちは今、7月8日の挙式に向け準備をしています。日本式の結婚式に向けた準備で、私はイバラの道を全部くぐり抜けました(笑)。私たちは、結婚式を形式的でないものにしたいと思っていたのですが、結局は、色々な都道府県に住んでいる夫の親戚の人たちをとても大勢招待したので、その人たちが不快な思いをするようなことはできなかったのです。それで、ゲストの人たちのことを考え始めると、式をどんどん『日本風にする』ことになったのです。これは悪くありませんが、日本の結婚式にはとても沢山の規則があります。私たちは、もう半年も準備しています。何もかも、分単位で時間割を決めなければなりません。これこそまさに、私が理解できない日本文化の一つなのです。あまりにも日本人は、結婚式を盛り上がらない行事にしています。それに、特に東京ではとても値段が高い。でも、別の見方をすれば、このような出来事は一生に1回しかありませんし、その後は私たちそれぞれの家族が違う国の人たちですから、こんなふうにみんな一緒に集まるチャンスはとても少ないのです。ですから、何もかも正しく行う必要があります。」
あやめまつりの準備
「2年ぐらい前、私にはとても良い日本人女性の知り合いができました。この人は私の恩人になりました。仕事探しで私を手伝ってくれて、色々な人たちに紹介してくれました。この人は茨城県生まれで、何の巡り合わせか、潮来市の文化大使になったのです。毎年、祭りのPRを手伝っていて、私に祭りのことを話してくれました。ちょうど少し前に、私は結婚することになりました。私たちは申請を出し、今年選抜された29組に入ることができました。 祭りに参加するために、私たちは新郎新婦についての情報を書いて、その後で私が作文を書きました。なぜ私が祭りに参加したいのか、質問に回答する必要があったのです。潮来へ何回かお客に行ったこと、この町の文化大使が私の恩人であることを書きました。さらに、この祭りが私にとって、日本人花嫁の役で自分を試す、またとないチャンスであると書きました。そして、私たちは合格したのです!」
「 メイクアップ、かつら着け、着物の着付け、プロセス全体で3時間かかります。私はかつらの試着に行きました。ただ自分のサイズを送るだけでは足りないのです。かつらそのものだけでとても重く、さらにかつらには被り物や花、飾りが付けられているのです。 私はどうしても、美しい歩き方を覚えなければなりません。そのようなトレーニングはプログラムで決められていますが、私はとても心配しています。これはとても難しいのです。真っ直ぐな姿勢で、でも少し頭を下げて通りすぎる必要があるのです。あまりに大きく微笑んではいけません。花嫁というものは、控え目である必要があります。努力しなければならなくなるでしょう、おしろいで真っ白になるので、私が外国人だとはそもそも分からないだろうとは思いますが。」
何もかもが奇跡のようでした!
「日本式の結婚式のメイクアップに3時間、重いかつら、それに複雑な着物、でもこの晴れの日は、とても美しい、そして充実した一日でした! 初めに私は、両親に伴われて古民家の磯山邸から人力車で出発しました。私たちはゆっくりと、あやめ園を抜けて船着き場まで進み、そこで私が書いた作文を司会の人が読み上げました。その後、私は小舟で川を下り、すると夫が私を待っていました。私たちは一緒に、噴水に小さな錠前を掛け、記念写真を撮りました。潮来市長が私たちに、祭りに参加したという証明書を手渡してくれました。式典のそれぞれの段階は全て、200~300人の観客に囲まれて行われ、みんな写真を撮ったり、手を振ったり、励ましてくれたりしていました。もちろん、大部分の人は、私が外国人だと気づいていましたが、否定的な発言は一つもありませんでした。観客の皆さんは、私たちをとても暖かく迎えてくれました。」
2つの国、2つの文化
「私たちは、日本の祝日もロシアの祝日もお祝いします。今年の新年は、例えば、日本式にお祝いしました。食事をして、テレビを見て、深夜1時に就寝しました。これは全然ロシア式ではありませんが、こんなふうにすることもできるんだと分かりました。歩み寄っていく必要があります。ある年にはロシアに行ってきて朝まで雪の中で転げ回り、またある年には温泉でしばらく横になることもできるということです。このことについて、大きな問題があるとは思っていません。 私の夫にとっては、ロシアには3月8日の祝日があることが新発見でした。夫が私にお祝いをするのを忘れたことで後で夫に腹を立てることがないように、これについては夫に話しておかなければならなくなりました。」
「 私たちには、生活習慣の違いが少しあります。例えば、日本人はスイカに塩をふるということ。私は初めは驚きましたが、後で慣れました。みんながどんどん塩をかけるんです。夫にとっても、私について驚くべきことが沢山あります。例えば、私が何か忘れて家に戻ると、すぐに鏡に向かって走っていくこと。今は、私は夫と一緒に旅行の前にはスーツケースの上に座るようになりました。このことの意味を、夫はよくは考えていないと思いますが、私と一緒にしてくれています。そのような習慣やジンクスは、私たちのどちらにもありますし、これには軽い気持ちで接しなければならないと私は思っています。 もし物事を前向きに見るなら、私たちには2つの国、2つの文化、2倍の数の祝日、2倍の数のジンクスがあるということになります。新しいものが好きな人たちにとって、これはメリットです」。
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