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あなたが驚くロシアについての20の事実

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一番であって、一番じゃない


ロシアは最大の面積を持つ国であり、その面積は1700万㎢を超える。地球の陸地の1/9を占めており、ドイツ47個分、日本45個分、韓国141個分にもなる!ロシアの端から端までの距離はほぼ10000㎞だ。

© Depositphotos/Aleksandar Kosev
しかし、これほどの数字を誇っていながら、時差の多さではまったく思いもかけないライバルに抜かれている。それは、この分野で一種のトップランナーであるフランスだ。国の領土はひとつの時差帯にあるにも関わらず、すべての海外部局や各種領地を考慮すると、フランスは12時間という世界最大の時差を持ち、その数はロシアよりも1時間多いのである。


© Fotoloia/David Alary

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最大の活火山



© Evgeniy Neskoromny

ロシアのカムチャッカ半島にはユーラシア最大の活火山であるクリュチェフスカヤ・ソープカがある。高さは4850メートル。この火山は高さ8キロメートルの火山灰を吹き上げ、噴火のたびに山の高さを増している。クリュチェフスカヤ・ソープカは過去7000年間、噴火を続けている。


© Aleksey Kudenko

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思ったより近い



© Dave Cohoe
ロシアと米国の距離は4キロメートル。これはベーリング湾にあるラトマノフ島(ロシア)とクルゼンシュテルン島(米国)の間の距離である。モスクワからシカゴまでの距離は、シカゴからリオデジャネイロよりも近い。

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フェミニズムについて


クジマ・ペトロフ=ヴォートキン の「ペトログラードのマドンナ」作品
ロシアは米国よりも早く男女同権を謳った。ロシアで女性が選挙権を得たのは1918年だが、米国では1920年だった。

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「クジマの母親を見せてやる」はソ連首脳が発した最も奇妙な罵り言葉

文字通り訳せば、「クジマの母親を見せてやる!」というフレーズはかなり馬鹿げた表現に聞こえる。クジマという人の母親がどこかにいて、それを見せるぞと脅す人がいて、何らかの理由でそれを怖がる人がいる。このフレーズはソ連の首脳であったニキータ・フルシチョフが「敵対心を持つ国」の代表者、とりわけ米国の副大統領だったリチャード・ニクソンに対して発したものである。 「私たちは、あなた方に深刻な影響をもたらし得る手段を持っている。クジマの母親を見せてやる!」
ロシアではその後、ソ連首脳のこの言葉が米国人に対して文字通り「クジマの母親」と訳され、米国人はロシアの新しい秘密兵器の名前だと勘違いしたという伝説が広まった。当時、人類史上最大の威力を持つと考えられた爆弾である水素爆弾「ツァーリ・ボンバ」が開発されたことや、その後、それを面白半分で「クジマの母親」と呼ぶようになったことを考えると、もしかすると、本当にそれを意味していたのかもしれない。

実際にはこれはイディオムであり、フルシチョフ自身も口ごもってしまった通訳に対して、この表現の意味を次のように説明している。「通訳の皆さん、困っているのかね?私は、米国がこれまで見たこともないようなものを見せてやると言いたかっただけだよ。」


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白夜

© Alexey
Danichev
高緯度地帯で長く日が沈まず、夜がほとんどないと言ってもいいくらいに明るくて短い5月半ばから7月半ばの時期のこと。白夜はスカンジナビア諸国でも見られるが、サンクトペテルブルグのそれは特筆すべきものがある。というのは、北緯59.9度にあるサンクトペテルブルグは、世界最北にある百万都市なのだ。独特の明るさの条件と街の建築の組み合わせが類い稀なる風景を生み出し、これにより白夜はサンクトペテルブルグのシンボル、観光と文学のブランドとなっている。

7

オイミャコン


© Maarten Takens
ロシアの都市オイミャコンでは世界最低の気温が記録されている。気温の世界記録は1924年に観測されたマイナス71.2度である。

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カチューシャ
カチューシャはロシアによくある女性の名前エカテリーナの指小形や、歌、武器、小惑星の名前であるだけでなく、日本で広まったヘアバンドの名称でもある。

写真:歌「カチューシャ」のモチーフとなった女性の銅像
©
Vitaly Ankov
カチューシャという言葉が日本で知られるようになったのは、この名前がトルストイの小説「復活」の主人公の代名詞になった1910年代のことである。その名前がヘアバンドの商品名になり、今も使われていると考えられている。

カチューシャ」の変種「カチューム」もあり、特に若い女性に人気を博している。この言葉は「カチューシャ」+「ゴム」で生まれたものであり、リボンやゴムでできたヘアバンドを指す。そのようなヘアバンドは、一見したところカチューシャに似ているのだが、実際には頭へのフィット感がよく、多くの若いブロガーによると、もっとカワイイのだという。


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ソ連の狂気じみた自然とのゲーム
ソ連には狂気じみた規模のエンジニアリング・プロジェクトがいくつもあった。 乾燥地帯に淡水を供給するためにシベリアの川の一部を曲げるといった20世紀半ばの実現されなかった企画が話題にのぼるたび、現代の環境学者は今でも安堵のため息をつく。

© Fred Greenberg
ほかにも、干上がってしまったアラル海(現在のカザフスタンとウズベキスタン領)を救うため、水を送れるように運河と貯水池の巨大システムを建設する準備も行われていた。このプロジェクトが実現していたら、北半球の気候と北氷洋の自然に壊滅的な変化をもたらしていただろう。

少し規模の小さい自然プロジェクトには実現を見たものもある。北カフカス地方で、「キンジャル」という名の山がほぼ丸ごと撤去されたのである。1960年代と70年代、この山の尖った頂上は、ミネラリヌィ・ヴォディ市の地元空港に着陸しようとした2機の旅客機の墜落の原因となった。現在、この山の跡地には小さな台地が残っているばかりだが、古参住民によると、地形が変わったことで気候が変わり、この地方は少し寒冷化したという。しかし、山の撤去の正確な原因が記された公式データも、気候変動の影響の研究もない。

かつての「キンジャル」山の姿。尖った山頂が美しい
「キンジャル」【現在】
© Kemal Kozbaev

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ひげ税
ロシアにはピョートル大帝の時代に、あごひげを生やした人全員が払う「ひげ税」があった。

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防空壕


©
Arkady Shaykhet
第二次世界大戦中、地下鉄駅は防空壕として利用された。空襲時に、この安全な避難場所で150人が生を受けた。

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モスクワ地下鉄
モスクワ地下鉄は毎日、約900万人の乗客を運んでいる。これはニューヨークとロンドンの地下鉄を足した数よりも多い。モスクワ地下鉄の総延長は327.5キロメートル。モスクワ地下鉄には196の駅があり、そのうち10駅は地上に、5駅は橋や高架の上にある。

© Ilya Pitalev
モスクワ地下鉄の路線図は、丸ノ内線が環状線の役割を果たす日本の地下鉄に似ている。最も深い地下鉄駅は「戦勝公園」駅であり、深さは84メートル。最も地上に近い駅は「ペチャトニキ」駅で、深さはわずか5メートルである。モスクワ地下鉄は地下鉄そのものの機能以外に、本物の地下美術館でもある。モスクワ地下鉄の最も有名な彫刻は「革命広場」駅にあるブロンズの犬の像である。言い伝えによると、この犬の鼻をなでた人には幸運が訪れるという。数十年間、乗客の手が鼻をなで続けたせいで、犬の鼻はピカピカになっている。モスクワには、核戦争が起こったときのための地下シェルターを結ぶ秘密の地下鉄、地下鉄2があると言われている。
© David Burdeny

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ダーチャ

© Evgeny Yepanchintsev
ダーチャはロシアにしかない現象であり、多くのヨーロッパ言語でもそのままdachaと呼ばれている。最初のダーチャがロシアに誕生したのは18世紀初め、ピョートル1世の時代だと考えられている。当初はダーチャというよりは、ツァーリが国家に対する功績を称えて臣下に下賜したペテルブルグ郊外の邸宅だった。そのときに「与える」という言葉の派生語である「ダーチャ」という名が使われるようになったのだと言われている。

邸宅のダーチャは100年以上にわたって貴族の特権であり続け、様々な所得層の人々がダーチャを持てるようになったのは、19世紀末になってからのことである。とはいっても、これはすでに個人所有物ではなく、郊外の賃貸の家となっていた。


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セイウチ

© Pavel Lisitsyn
氷のように冷たい水に治療効果があると信じて、冬に水浴する人々をロシアでは「セイウチ」と呼ぶ。年を追う毎にこうした人々の数は増加しており、年齢が障害になることはない。モスクワでは冬の水浴のために水から浴場を切出し、ペテルブルグではペトロパヴロフスク要塞の近くにできた天然の浜で、ネヴァ川の凍らない水に身を浸す。冬の水浴は地球上で最も寒い集落であるヤクーチヤ(サハ共和国)のオイミャコ村でも行われている。

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ネコのパスポート


© Igor Russak
エルミタージュ国立美術館では、ネズミ対策としてネコが飼われている。エルミタージュのネコは全員、写真付きのパスポートを持っている。
© Alexei Danichev

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最も高価な漁獲


© Alexey Malgavko
世界で最も高価な魚が水揚げされたのは1927年のロシアでのこと。ベルグラードのそばのチーハヤ・ソスナ川で漁業をしていた漁師の網に重さ1277㎏のチョウザメがかかったのだ。このチョウザメからは245㎏の最高級のキャビアがとれ、その価値は現在の価格で28万9000ドル相当だったという。

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迷信



© Natalia Selivestrova
ロシアでは時として、懐疑的な人でも合理主義者でも、伝統的で一般的な迷信を守ることがある。例えば、多くのロシア人は敷居を挟んで握手をしない。これは喧嘩を呼び、縁起が悪いと考えられているのだ。また、多くの人々は、不運をもたらすという迷信がある黒猫が道を横切ると、指をクロスさせるかボタンを掴む。このほか、ほぼ全てのロシアの家庭で「旅路を前にして座る」ことが行われている。家を出る直前、靴も履いて、スーツケースも詰めた状態で、どこかの部屋に全員で数分間、黙って座るのだ。

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ドライブレコーダー


© Alexey
Malgavko
インターネットにつながる人であれば、誰もがドライブレコーダーの驚くような録画映像を見たことがあるだろう。そのうちの一部は欧米諸国のパトカーが撮影したものだが、残りのほとんどはロシアの映像である。大部分の動画は面白いという理由でアップされているが、ロシア人がドライブレコーダーを使用する最大の原因は、詐欺師から身を守るためである。たとえば、自動車の前に飛び出してきて、怪我を装う人々などのことだ。

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スボートニク


© Alexandr Kryajev
スボートニクとは、ロシアの都市の住民が自発的に外に出て、街を掃除してキレイにする日のことである。スボートニクは革命後に生まれたものだが、今でも続いている。

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ロシア初の日本語学校

歴史家によると、記録に残っている日本とロシアの最初の接触のひとつは、大阪商人の伝兵衛がピョートル1世の宮廷に仕えたことだという。
1697年、伝兵衛の小さな船がカムチャッカの近くで難破した。闘争的な原住民に殺されるところだった伝兵衛を救ったのは、カムチャッカを初めて調査したロシア人、ウラジーミル・アトラソフである。1701年に伝兵衛はモスクワに連れて行かれ、1702年、ロシアの皇帝の御前に出た初の日本人となった。 長い談話の後、ピョートル1世は勅令を出し、伝兵衛にロシアの読み書きを教え、この日本人がロシア語を習得したらすぐに「ロシア人から3~4人を彼に与えて学ばせ、彼らに日本語と読み書きを教えるように」と命令した。

伝兵衛はまず、砲術学校(つまり砲兵のための専門学校)の教師として派遣され、その後、1705年にペテルブルグ航海数学学校の付属校として特別に設置された日本語学校の教師となった。 伝兵衛の学校は日本語を勉強するロシア史上初の学校となった。最近の歴史的資料の研究により、伝兵衛の学校は世界初の正式な日本語学校だったと考えられるようになった。

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