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ドストエフスキー 天使か悪魔か?
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーは、最も暗いロシアの作家の1人だ。作品だけでなく、その人生も極めて悲観的だ。ドストエフスキーはアル中で、ギャンブラー、サディスト、そして借金まみれだったと言われている。はたしてドストエフスキー本人は、このような自分のイメージをどのように思うだろうか?通信社スプートニクの編集部は、もしドストエフスキーが2017年のモスクワを訪れたらどんな反応を示すか、空想の世界で描いてみた。


写真:Ekaterina Bulanova
もちろんドストエフスキーは、自分にゆかりのある場所に姿を現すに違いない。
例えば、ドストエフスキーの名が冠されている地下鉄の駅だ。
そしてドストエフスキーは自分がどこにいるかを知るために、外に出てみることだろう。でも私たちは、ここモスクワの地下鉄ドストエフスキー駅周辺の地区が、彼が生まれ、幼少時代を過ごした場所であることを知っている。ドストエフスキーは学業のため父親によって兄と一緒にペテルブルクへ
送られる16歳までこの場所に住んでいた。ドストエフスキーにはここがどこかわかるだろうか?
ドストエフスキーは像に近づいてみるが、これが自分だとはなかなか理解できない。
好奇心が生まれ、ドストエフスキーは生家の中へ入って行く。少女もついていく。
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ドストエフスキーが困難な幼少期を思い出している間に、ドストエフスキーの生涯を振り返ってみよう。ドストエフスキーは1821年に父親が働いていたモスクワの精神科病院で生まれた。ドストエフスキーは全幼少期を精神障害者、厳格な父親、肺病にかかっていた母親、兄弟たちに囲まれて過ごした。ドストエフスキー本人もてんかんを患っており、それはその後、刑務所時代に悪化した。だがそれにもかかわらず研究者たちは、ドストエフスキーは生き生きとした知性を持ち、空想を愛し、優しかったと指摘している。ドストエフスキーと個人的に知り合いだったヴラーンゲリ男爵によると、「ドストエフスキーの優れた優しさは、彼をよく知るすべての人が知っていた」。ドストエフスキーは召使を侮辱したりすることは決してなく、愛し愛されることをとても望んでいたという。うまくいかなかった一回目の結婚の後、ドストエフスキーはアンナ・スニートキナと出会う。ドストエフスキーは生涯にわたってこの2番目の妻アンナを愛し続けた。そしてアンナもドストエフスキーに忠実で、献身的に尽くした。ドストエフスキーの小説「カラマーゾフの兄弟」は、アンナに捧げられている。
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モスクワの幼少期の思い出の場所を少し巡った後は、人生の大半を過ごしたペテルブルクへ行ってみたくなることだろう。だがこれはまた別のストーリーだ...
あとがき
もちろんこのストーリーは「スプートニク」編集部の空想以外の何物でもない。私たちはドストエフスキーの素晴らしい哲学的作品に敬意を抱くと共に彼の作品を愛している。だが、世界中の読者に押し付けられているドストエフスキーのイメージは、あまりにも暗すぎると思いませんか?
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