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日本よ、マトリョーシカをありがとう!ロシアの人形について知っておくべき重要なこと

ロシアの工芸復活のためにニュージーランドでのキャリアを放棄した環境エンジニアの話
© 写真: Sputnik / Ekaterina Bulanova
ルスタム・アタジャノフさんは、ソ連時代にロシア・タタール人家庭に生まれた。当時、小ビジネスは工芸品や民芸品製造と同じく衰退しており、ルスタムさんは数十年後にロシアの民芸品マトリョーシカの製作・販売が自分が生活するための事業になるとは想像することもできなかった。

ルスタムさんと、その手で驚くほど美しいマトリョーシカをつくり出す妻オリガさんは、環境保全エンジニア分野の教育を受け、同分野で順調に仕事をしていた。ルスタムさんが通信社「スプートニク」に語ったところによると、ルスタムさんとその家族は、外国から収入の多い興味深い申し出を受け、ニュージーランドへ行くチャンスがあったが、ルスタムさんはロシアに残り、ロシアの伝統工芸に取り組むことを決めた。
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日本の心を持ったロシアのシンボル
ルスタムさんは、自分のことを著名なロシアの芸術のパトロン、サーヴァ・マーモントフに例えている。マーモントフは、ロシアのマトリョーシカの生みの親だ。19世紀末、ロシア社会では国民の自覚が高まり、ロシアの民芸・工芸の復活を求める運動が起こった。同運動の参加者らは、木製の人形をはじめとした伝統的な農民の工芸品に注目した。

そして1990年代にモスクワ近郊の町セルギエフ・ポサードで、マーモントフ支援の下、工芸工房がオープンし、当時の最も優れた職人たちが、ロシア帝国の様々な地域の伝統的な祝い事の衣装を着た人形をつくった。まさにこの工房で、マトリョーシカのアイデアが生まれた。

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ルスタムさんによると、人形は1900年にパリで開催された万博で披露するためにつくられ、ロシアの作品は大きな人気を博したという。マトリョーシカのプロトタイプとなったのは、マーモントフの妻が日本から持ち帰った日本の「入れ子人形」だった。大きな人形の中にそれよりも小さな複数の人形が隠されているこの人形の構造を、芸術家のセルゲイ・マリュチンが非常に気に入り、最初のマトリョーシカを設計した。

最初のマトリョーシカの外見は、現在お土産さんで売られているものとは大きく異なっていた。芸術的装飾ではなく、旋盤工の作業の緻密さと民族衣装の正確な描写にアクセントが置かれた。最初につくられたマトリョーシカの顔はたまご型で荒々しく、衣装はシンプルだった。マトリョーシカは8個組で、黒い雄鶏を手にした母親と7人の子供で構成されていた。マトリョーシカは万博で大成功を収め、工房には世界中から注文が殺到、製造量は増加した。

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「ひとつのドアが閉まるとき、別のドアが開く」
ソ連時代、民芸品や工芸品の製造にはあまり関心が払われず、国は産業の発展に焦点を当てた。一方、マトリョーシカの生産はストップしなかったが、職人の手作業から機械化に移行した。
ソ連崩壊に伴い、大勢のロシア人にとって困難な時代が訪れた。雇用削減、研究機関や工場の閉鎖、巨大なインフレ、店頭には商品がなく、仕事を見つけることはできなかった。この時期、皆がどうにか生き延びていた。ルスタムさんは「私には2つの選択肢があった。それは悪党になるか、それとも商売を始めることだった」と語った。そしてルスタムさんは、2つ目の選択肢を選んだ。1990年代初頭、ルスタムさんの家族はまだマトリョーシカを自分たちで製作してはおらず、中国からのマトリョーシカの輸入に取り組んでいた。だがルスタムさんはたくさんのお土産屋さんが並ぶモスクワの「ヴェルニサージュ」に店を構えるようになり、今はここからロシアのお土産が世界中へ運ばれている。
時が経つにつれて国の状況は安定し、ルスタムさんとオリガさんは自分たちが専門とする職業を見つけたが、「ヴェルニサージュ」から撤退することはなかった。反対に、ただ販売するだけでなく、独立した作家たちの作品を広める手助けもするようになった。例えば、信じられないほど美しく優雅なマトリョーシカを手作業でつくりだすタチヤーナ・ドゥビニチさんの才能を開花させた。また2014年からは、オリガさんもマトリョーシカをつくりはじめた。
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ルスタムさんによると、オリガさんは芸術教育を正式に受けたことはないが、ロシアの工芸品への情熱が、自分もマトリョーシカをつくりたいという意欲を起こさせた。
オリガさんはサーヴァ・マーモントフへ敬意を払い、基礎のために1900年の一番最初のマトリョーシカを選んだ。オリガさんが一組のマトリョーシカを製作するのにかかるのは、数日から数週間。オリガさんの作品の繊細さには、ただただ感嘆するばかりだ。一番小さな人形の大きさは、なんと1センチ未満!
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たくさんのお土産屋さんが並んでいる中でも、ルスタムさんの店はすぐにわかる。ルスタムさんの店には工場で製造された同じタイプの光沢のあるマトリョーシカは一つもない。あるのは、そのシンプルさと独創性で魅了するロシア芸術の真の美しさだ。
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筆者
アナスタシア・フェドトワ

デザイン
ダリヤ・グリバノフスカヤ

マルチメディア
エカテリーナ・ブラーノワ
Made on
Tilda