どうすれば
「ラベンダー・プリンセス」になれる?
日本にルーツを持つロシアの
フラワーアーティストのストーリー






ラベンダーという言葉で私たちがまず思い浮かべるのはフランスのプロヴァンスである。しかし、ロシアにも独自の「ラベンダー・プリンセス」がいる。ダリヤ・フォキナであり、彼女のラベンダー畑はクラスノダール地方にある。スプートニクがダリヤに会って話を聞いたところ、彼女のストーリーは期待したよりもずっと興味深いものだった。

ダリヤは若手のフラワーアーティストであり、彼女の外見はまさに「東方美人」だ。彼女の家系図を見ると、様々な民族のルーツを持っていることが分かる。ダリヤの曾祖父は日本人だったが、1930年代に北朝鮮に移り住み、後にダリヤの祖父が生まれ、その地で育った。ダリヤの祖母はというと、ラトビアがルーツだ。その後、家族はロシアへ向かうが、途中で中央アジアを経由する。ダリヤはウズベキスタンの首都タシケントで生まれた。ソ連崩壊以降、家族はラトビアとウズベキスタンの2カ国を跨いで暮らしていた。しかし、建築家である彼女の父親はモスクワのスルコフ記念芸術アカデミーを卒業している。ダリヤの母親はロシア人で作家だ。20世紀末から21世紀の初めにかけて、ダリヤの家族は最終的にモスクワに移住した。
ダリヤの家族は全員が芸術家であり、ダリアも子供の頃から音楽家になることを夢見ていた。しかし、後にフラワーアートに夢中になり、これを一生の仕事とすることに決めた。ダリヤは次のように話す。
「私の昔からの夢は、ロシアにプロヴァンスを再現することでした。というのも、私はラベンダーが大好きで、この花を扱うのが好きなんです。クリミアでは、かつてラベンダーが栽培されていましたが、プロヴァンスで栽培されているものよりも野生的なものでした。というのも、装飾用ではなく、ラベンダーオイルの製造にのみ使用されていたからで、つまり、粗く砕くためのものだったからです。プロヴァンスのラベンダーは美しく洗練されています。私はロシアのクラスノダール地方で初めて、世界的に有名なプロヴァンスのラベンダーの苗を育てました。現在、私はクリムスク市近郊のクラスノダールとアナパの間に7ヘクタールのラベンダー畑を持っています。畑はぶどう農園に囲まれています。それがラベンダーの栽培に理想的な土壌なのです。収穫したラベンダーはいくつかの束にまとめ、後に装飾用のフラワーアレンジメントで使用するため、一定期間、暗い格納庫で保管します。」

ダリヤ・フォキナ
ダリヤは作品を作るにあたり、何かひとつのスタイルにとらわれることはないが、簡潔さを大切にしている。




「私のモットーは自分をひとつのスタイルの枠に押し込まないことです。とはいえ、自分なりの好みはあります。繊細さ、純粋さ、形の正確さです。日本にルーツを持っているので、もちろん、生け花も知っていますし、とても高く評価しています。生け花の簡潔さが好きです。けれど、一般的には、庭からとってきたばかりのような、原始的な姿を残した花が好きです。」

ダリヤ・フォキナ
ダリヤはラベンダーと他の花を使って、珍しい装飾品を作っている。このプロジェクトは「ガラス押し花」と呼ばれている。
「私は花を使った仕事を続けたいと思いつつも、何か珍しいものや長持ちするものを導入したいとも思っていました。生花の花束はほんの数日しかもちません。押し花であれば、花の命を延ばす手助けができるので、花に対してより人道的です。私は押し花を作成するのに、ティファニー・ステンドグラス法で溶接した二枚のガラスの間に植物を挟みこむ手法を使います。このような手法で作られたステンドグラスの絵画――つまり、押し花――は、まっさらな明るい背景に吊すと、まるで空中に浮かんでいるかのように見えます。ごく普通の森で見つけたどんな草や枝でも押し花の「芸術材料」になり得ます。たとえば、私はシダ植物が大好きで、ガラス押し花の手法がとてもよく映えます。

ダリヤ・フォキナ
さらに、ダリヤは一連のお土産品も作っている。



「私の背中を押してくれたのは米国の友人です。彼はモスクワを発つとき、マトリョーシカだけでなく、オリジナリティのあるお土産を買いたがっていました。モスクワには美しい公園がたくさんあるので、私はそうした公園の植物を使ってマグネットを作りました。私のプレゼントを気に入ってくれ、モスクワの公園を散歩したことを懐かしく思い出してくれると嬉しいです。」

ダリヤ・フォキナ

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