1792年の9月13日、ロシアの帆船「エカテリーナ」はオホーツクの港を出港し、36日後に根室に着いた。そこで来航の趣旨を伝えたが返事はすぐに来ず、長いこと待たされた。1793年の7月になってようやく、帆船「エカテリーナ」は函館港に入港でき、協議が行われた。これはロシアにとって、日本と友好関係を結び貿易を始めようという最初の試みであった。協定などを結ぶことはできなかったが、ロシアはこのとき、1854年に日本の鎖国が解かれるまで、他のどの外国もなし得なかったことをやってのけたのであった。それは、もしロシアが引き続き日本と話し合いをしたくなったら、長崎にロシアの船が寄港してもよいという許可の書面だった。サンクトペテルブルグでの日本人たちとの会談は、非常に役に立ったというわけだ。
写真: 長崎、18世紀
© Public domain