「日本人にも金継ぎを知らない人がいる」

ロシア唯一の金継ぎ職人が
「もののあはれ」やインスピレーション、日本訪問の夢を語った
日本の修復技術「金継ぎ」のロシア唯一の職人が、希望者にこの技術を体験してもらおうと、最近、工房を公開した。職人の彼はスプートニクのインタビューで、競争は怖くない、この芸術がロシアでもっと広まることを望んでいると語った。
食器は実利的なものであり、割れるものである。器が壊れたからといって心が壊れる訳ではなく、通常は特に落胆することはない。しかし、古い花瓶や曽祖父から受け継いだ貴重なもの、大好きな人からのプレゼントだったり、別の理由でその人にとってはとても大切なものもある。割れてしまったものを生き返らせる方法は2つある。破片をできるだけ精密に目立たないようにくっつけ、元の姿を取り戻すことがそのひとつだ。割れ目が全く見えないようにすることが理想である。これはヨーロッパ流の修復術である。日本では別の方法が用いられる。割れ目を隠さず、むしろ強調することで、割れたものにしかない新しい形、新しい魅力を与えるという方法である。この技術を金継ぎという。この方法で蘇生した花瓶や茶碗には新品よりも高く評価されることが少なくない。
日本の金継ぎの技術で割れた花瓶や茶碗や急須などに新たな命を吹き込むことができる職人はロシアには一人しかいない。その人物を紹介しよう、コンスタンチン・コルニロフ氏だ。彼はモスクワから60キロメートルのところにある古い街、セルギエフ・ポサードに住んでいる。彼は独学で金継ぎの技術を習得し、自身のサイトで経験を共有している。
「割れたものを蘇生させるプロセスには数週間かかります。まず最初に、漆を小麦粉、炊いて潰した米、特殊な粘土のどれかと混ぜたもので破片をくっつけ、乾かした後、割れ目に漆を塗っていきます。漆は日本、韓国、中国に植生しているウルシの樹液から作られます。最後の工程が金粉か銀粉で継ぎ目を加工することです・・・」


コンスタンチン・コルニロフ氏がスプートニクのインタビューで、彼の人生に金継ぎがどのように登場したのかを語った。
すべてはここから始まった
「すべては私がお気に入りの茶杯を割ってしまったことから始まりました。捨てるのはもったいないので、修理する方法を探し始めました。私はインターネットで金継ぎに関する記事に出会ったのですが、そこには何の手引きもありませんでした。かわりに、金継ぎの手法でモノを復元する過程を描いた動画を見つけました。私は自分で試し始めました。そしてついに、なんとか上手く行くようになったのです。偶然、熱中したことが徐々に仕事に変わっていきました。このプロセスは根気のいる作業で、同じ動きを何度も繰り返さなければなりませんし、かなり長い時間がかかります。けれど、私はそれがとても好きなのです。多く修理すればするほど、難しくなっていきます。もっと上手にやろうと努力し、もっと学ぼうとするので、気になるところがどんどん出てくるのです。もっと作業をすることで、腕を磨かなければなりません。どんなに改善してもキリがないのです。」
金継ぎに必要なものとは?
「ウルシの木も、そこから樹液を抽出する文化も東南アジアでしか広まっていないので、私は漆を日本に注文しています。中国に注文することもできるのですが、日本の方が漆の品質が優れています。金粉と銀粉はペテルブルグにあるイコンのための画材を販売する会社に注文しています。筆は画材店で購入するか、自分で作ります。日本の筆は非常に優れているのですが、消耗品としては私には少し高価すぎます。それから、根気強さ、忍耐力、経験、そしておそらく、芸術的センスが必要です。」
ストーリーのあるモノ
「私は毎年、新年を迎える前に、割れたモノのストーリーのコンテストを開催しています。最高のストーリーを送ってくれた人は私の工房で無料の修復を受けることができます。私のところには、壊れたモノの写真とそのストーリーが寄せられます。数年前、ある女性が、父親が子どもの頃に両親から贈られたという割れたマグカップのストーリーを送ってくれました。マグカップ自体には芸術的な価値はありませんでしたが、カップには「セリョージャ、お茶を飲め!成績は5を取れ!」と書かれていました。このマグカップは彼女の父親の思い出であり、彼女はこのマグカップのストーリーを繋ぎ、息子に伝えたいと考えたのです。このストーリーはコンクールで優勝し、私はマグカップを修復しました。」
割れた茶碗の哲学
「金継ぎは、モノの命とストーリーを操ることだと感じます。金継ぎは、モノが破損することはマイナスではなく、むしろそのモノが唯一無二であることを強調するという確信に基づいています。モノは落下すると、それぞれ独自の割れ方をします。そのときにできたキズ跡にはひとつとして同じものがありません。モノが壊れれば、そのモノに命を取り戻すことができます。修復したものはこれまでと同じモノである一方で、他方では、新しい「顔」と新しい意味を持つモノとなります。私は侘び寂びや、「もののあはれ」について多くの書物を読みました。金継ぎでは、これが16世紀に遡る芸術であるため、各工程に独自の名前が付けられています。けれど、この芸術をそこまで深く体得するにはまだ至っていません。」
日本人でも金継ぎを知らない人がいる
「今は、金継ぎが私の主な収入源となっています。ロシアからも、他国からも注文があります。最近、アラスカに急須を送りましたし、その前はオーストリアでした。多くの人が関心を持ってくれていて、相談や修復を依頼されます。ソーシャルネットワークで私を見つける人が多いので、Facebookでの投稿はすべて、ロシア語と英語の二言語で書いています。外国人のフォロワーも多く、なかには日本人もいます。彼らは私の投稿をシェアし、コメントを残し、驚いたり感心したりしてくれます。けれど、日本人の中には、日本に金継ぎがあることを知らない人もいるのです。もちろん、日本に行って、年老いた名人と話をしたいなと思います。けれど、私たちの間には言葉の壁がありますし、おそらく名人はほとんど英語が話せないでしょう。」

筆者:リュドミラ・サーキャン
写真:コンスタンチン・コルニロフ
デザイン:ダリヤ・グリバノフスカヤ
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