サングラスと金貨とイワン雷帝の共通点は?スプートニクが読者の質問に答える
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金貨を浴びせる伝統はどんなもので、なぜそんなことをするのか?
大公の戴冠式
神聖な儀式である大公の戴冠式はビザンチンからルーシにもたらされた。初めての戴冠式が行われたのは1498年のことである。それまで儀式は貴族の代表者の臨席のもと、寺院で行われていた。

イワン雷帝時代の銀貨
正教はビザンチンからロシアにもたらされたため、たとえば大公の戴冠式などの多くの習慣がビザンチンの様式にのっとっていた。しかし、大公の戴冠式には、いくつかのロシア的な特徴もあった。それにはまず、府主教(正教会の高い称号)が大公に話す説教がある。また、祖先の墓地を訪れること(敬意を表すため)や、寺院から出てくる大公に金貨と銀貨を3度にわたって浴びせることもロシア的な特徴である。
皇后マリア・アレクサンドロヴナの戴冠式
Konstantin Makovsky
『ボヤールの結婚式の宴』コンスタンチン・マコフスキー作
金貨や銀貨を浴びせる儀式は東方からロシアにもたらされたものであり、富、幸福、長寿への願いを意味した。この儀式は大公の戴冠式だけでなく、中世ロシアの結婚式にもしっかりと取り入れられた。花嫁と新郎には、ホップ、小麦、ロシア製の金貨や金メッキ硬貨が浴びせられた。この伝統は現在も続いている。新郎新婦が結婚式場の扉を開けて出てくるとき、ゲストは花や穀物(小麦や米)、ときには硬貨を浴びせかけるのがそうだ。バラの花びら以外のものはすべて、腰の高さか足下に投げかけられ、花びらは新郎新婦の頭に振りかけられる。このようにして新郎新婦に幸せを祈るのだ。
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新郎新婦が結婚式に出席したゲスト全員から硬貨や他の「贈り物」を浴びせてもらえるのとは違い、君主に「硬貨を浴びせる」ことが許されたのは君主の兄弟や親友だけだった。これは大公の戴冠式の、そして後にはツァーリの戴冠式の重要な要素となった。
Mosfilm,1945

セルゲイ・エイゼンシュテインの映画「イワン雷帝」でも、読者から質問のあった古い習慣が描かれている。

1547年にイワン4世がツァーリとなった戴冠式では、国庫が枯渇しないよう、金貨と銀貨が3回浴びせられた。これは儀式の重要なステップであった。ツァーリへの戴冠式でイワン4世に硬貨を浴びせた様子を描いたイラストが年代記に掲載されているのは偶然ではない。
Public Domain
戴冠式後にイワン4世へ金貨を浴びせる儀式
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私たちの先祖が初めてサングラスを使ったのはいつ?
セルゲイ・エイゼンシュテインの映画「イワン雷帝」には、サングラスをかけたポーランド人も登場する。
サングラスは16世紀に存在したのだろうか?
この問題を調べてみよう。

セルゲイ・エイゼンシュテインの映画「イワン雷帝」からのショット
サングラスについては、その発明の歴史は遠く古代に遡る。現代のサングラスの前身と言えるものは、貴石と半貴石、樹皮、織物などの材料でできていた。最初のサングラスが登場したのは古代エジプトであり、ファラオだけでなく、他の特権階層も身につけていたと考えられる。それは同様のものがファラオ以外の埋葬地でも発見されているからである。
Dmitry Korobeinikov
古代エジプトのファラオ

エメラルド
古代ローマでは、サングラスのレンズとしてエメラルドが使われた。例えば、ローマ帝国の皇帝ネロは、剣闘士の戦いを見るために磨かれたエメラルドを使っていた。当時、エメラルドは見たものの残酷さを和らげることができると考えられていたのだ。しかし、懐疑派の多くはより現実的な見方をしている。つまり、皇帝ネロがロルネットを使っていたのは、晴れた日に闘技場で起こることを見やすくするためだったと考えているのだ。
「サングラス」は古代中国でも使われていた。着用していたのは裁判官である。とはいえ、晴れた日に通りを散歩するためではなく、裁判中に自分の目線を隠し、他の人に感情が読み取られることのないようにするためだった。
サングラス 1651〜1710年(ドイツ)
このようにサングラスの誕生には長い歴史がある。そのため16世紀のポーランド人が太陽から身を守り、またスタイリッシュに見せるためにサングラスを使ったとしてもまったくおかしくはないという結論に行き着くのである。
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