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芸術の殿堂マリインスキーで輝く日本人バレリーナ、飛躍の軌跡
永久メイさんロングインタビュー

「繊細で優雅、身体全体が歌っている」とロシアのファンも絶賛

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Natasha Razina © State Academic Mariinsky Theatre








ロシアの芸術の都・サンクトペテルブルクで、236年の伝統を誇るマリインスキー劇場。三大古典バレエ「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」の初演は全て、ここマリインスキーで上演されてきた。今、その歴史あるバレエ団でひときわ注目を集めているのが、日本人バレリーナの永久メイさんだ。メイさんはユース・アメリカ・グランプリ(YAGP)ジュニア部門で優勝し、モナコのプリンセス・グレース・バレエアカデミーへ留学。留学生活2年目の夏休み、アメリカ・カリフォルニアで行われたYAGP入賞者のガラ公演に参加し、マリインスキー・バレエのユーリー・ファテーエフ監督のレッスンを受けた。ファテーエフ監督は、当時15歳だったメイさんの才能と理想的な容姿、楽しそうにレッスンする姿に惚れ込み、マリインスキーへおいでと声をかけたのだ。
モナコのアカデミーを最高点で卒業したメイさんは、単身ロシアに渡航。最初の一年は、17歳という若すぎる年齢のため、就業ビザが取れずに研修生としてスタートしたが、18歳で正式な団員になると、セカンド・ソリストとして迎えられた。この2年間で、すでに「くるみわり人形」のマーシャ、「ラ・シルフィード」のシルフィード、「ジゼル」のタイトルロールなど、数々の舞台の主役に抜擢され、いずれも大成功をおさめている。メイさんは6月7日、マリインスキー劇場のバックステージで、スプートニクのインタビューに答えてくれた。
写真:Natasha Razina © State Academic Mariinsky Theatre
スプートニク:メイさんがロシアに来て、ちょうど2年が過ぎましたね。正団員になってからの今シーズンは、いかがでしたか。
2年目でだいぶ変わったな、と思います。踊る役も難しい役になってきて、スケジュールがハードだなと感じています。一年目は入って間もなくて、「頑張らなくちゃ」と、自分を追い込む気持ちだけでやっていましたが、2年目に入ると疲れを感じてきたり、怪我もし始めたり…。実は今も怪我をしているんです。もちろん、キャスト表に自分の名前があるとすごく嬉しいですが、本番前の一週間はとてもきついです。主役を踊るときは3~4週間前には配役が伝えられますが、それでも練習期間が短いです。配役の発表は役によって全く違っていて、毎回バラバラです。本番1週間前に伝えられたこともありました。
永久メイさん
写真:Valentin Baranovsky © State Academic Mariinsky Theatre
かつてのマリインスキー劇場は閉鎖的で、エリート意識が強く、ロシア人や旧ソ連圏出身のダンサーしかいなかった。しかし現在のファテーエフ監督は、メイさんもそうやって入団したように、国籍や出身校にかかわらず、優秀なダンサーを世界中でスカウトしている。例えば、ダンサーの最高位であるプリンシパルの韓国人男性、キム・キミンさんだ。筆者はキミンさんが出演する「海賊」を鑑賞する機会に恵まれたが、キミンさんが登場した途端に大歓声が劇場を包み、誰もがキミンさんの人並みはずれた跳躍に目を奪われていた。
写真:Natasha Razina © State Academic Mariinsky Theatre
スプートニク:マリインスキーでは、アジア出身のダンサーの活躍が目覚ましいですが、周囲がほぼロシア人という環境の中で、アジア人・日本人としての自分を意識することはあるでしょうか。
アジア人というより、(マリインスキー劇場付属の)ワガノワバレエ学校出身ではない、という部分で、みんなとの違いを感じることはあります。でも私が日本人初というわけでも、アジア人初というわけでもないので、周りの人も慣れているのかなと思います。バレエ団のみんなは日本が大好きで、日本ツアーに行ったときに「日本は良いね!」と言ってくれるので、自分も日本人として誇らしくなります。日本ツアーの後に他の国でも公演があったのですが、他の国ではスタジオが寒すぎたり、スケジュールがアバウトだったりと…その点で日本は全てがきちんとしているので、みんな日本から離れたくない、と言ってくれます。アジア人だと舞台で目立つので、そのために批判されることもあり、良いことだけではありませんが、私は本当に日本人で良かったなと思います。
永久メイさん
写真: Valentin Baranovsky © State Academic Mariinsky Theatre
門外不出のバレエ「愛の伝説」
どんな役もこなせるメイさんが「入団してから一番大変だった」と話すのは、ロシア発祥のバレエ「愛の伝説」だ。メイさんは今年5月27日、「愛の伝説」のヒロイン、シリン役でデビューし、喝采を浴びた。このバレエは、トルコの戯曲「フェルハドとシリン」をもとにしたもので、アゼルバイジャンの音楽家アリフ・メリコフが作曲し、1961年にマリインスキー劇場(当時はキーロフ劇場と呼ばれていた)で初演された。振付を手がけたのは、ソ連人民芸術家で、ロシアバレエ界の生きた伝説、ユーリー・グリゴローヴィチだ。現在92歳のグリゴローヴィチは、ボリショイ劇場のバレエマスターとして現役で活躍している。このバレエは旧ソ連諸国以外ではほとんど上演機会がない。モナコで学んだメイさんも、この作品に触れる機会は全くなかった。

写真:若き日のユーリー・グリゴローヴィチ
写真:Valentin Baranovsky © State Academic Mariinsky Theatre

「愛の伝説」は、女王メフメネ・バヌー、その妹の王女シリン、宮廷画家フェルハドの3人が繰り広げる愛憎劇だ。バヌーは自らの美貌とひきかえに、不治の病に苦しんでいた妹シリンの命を助ける。ある日、バヌーと健康になったシリンは、宮殿の庭園でフェルハドを見かけ、二人とも彼に心を奪われてしまう。フェルハドが選んだのはシリン。バヌーは叶わぬ恋に苦しむ。深く愛し合うフェルハドとシリンは二人で宮殿を脱出しようとするが失敗。恩を仇で返した妹にバヌーは激怒。当時、民衆は水不足に苦しんでおり、バヌーは「山を切り開いて水路を作れば、妹との仲を認める」とフェルハドに言い渡す。これは尋常ではない重労働だ。山に向かい、作業を始めるフェルハド。民衆も集まってきて、彼に希望を託すようになる。バヌーとシリンは山を訪れる。民衆の信頼を得ているフェルハドの姿を見たバヌーは「水路の完成をあきらめて山を下りれば、シリンと一緒になってもいい」と告げる。しかしフェルハドは、希望を抱いている民衆を裏切ることはできないと、提案を拒否。シリンもフェルハドを理解し、二人は別れを選ぶ。
スプートニク:シリン役でデビューすることが決まってから、本番の舞台までわずか1か月でした。しかもメイさんはその間に、他の舞台にも出演しています。ゼロからのスタートで、どうやってこの難しい作品を完璧に解釈したのですか。
リハーサルの先生が、ストーリーだけでなく、本当に細かいニュアンスやディティールまで、全て教えてくださいました。あとはもう自分で、DVDを見て研究ですね。他の作品でもそうですが、特に「愛の伝説」は、60年代のビデオを見るようにしました。振付家が実際に振り付けした当時の作品を見るほうが、イメージをつかみやすかったので。振付はここ数年で違ってきたりしていますが、雰囲気や舞台上での表情などが、勉強になりました。音楽も難しく、他の作品とはカウントのとり方がまったく違います。だから音楽は毎日とにかく聞いて身体に入れ、リハーサルのときは毎回、リズムを自分の頭の中で刻みました。振付も、手と足の動きがまったくバラバラなんです。「愛の伝説」は本当に、今までで一番大変でした。
永久メイさん
写真: Natasha Razina © State Academic Mariinsky Theatre
夢だった「ジゼル」で主演デビュー
メイさんはこれまで、マリインスキーで踊ってみたい役を聞かれると、必ず「ジゼル」と答えていた。それだけメイさんにとって思い入れの強い作品だったからだ。その夢は今年の3月1日に、思いのほか早く叶った。ジゼルで主演デビューを果たした後、余韻にひたる時間もなく、すぐさま「愛の伝説」のシリンを踊ることになった。「愛の伝説」を終えても公演が次々に続き、怪我をしてしまったメイさん。今は、次に踊りたい作品を考えるよりも、治療に専念し、とにかく目の前にあることをやっていこうという気持ちだ。とはいえメイさんにとってジゼルが特別な作品であることに変わりはない。

ジゼルやシルフィード、「眠れる森の美女」のフロリナ王女など、可憐なイメージの役がぴったりのメイさん。メイさんの丁寧で優雅な踊りを見ると、素のままでリラックスしているようにさえ見えるが、意外にも、舞台袖では緊張しすぎて震えているという。

写真:Natasha Razina © State Academic Mariinsky Theatre
私は自分を追い込みやすくて、本番前も、自分をすごく緊張させるんです。緊張するのは嫌いで、緊張しなくていいのなら、したくはないんですけど、逆に安心すると上手くいかないのも知っています。だから、難しいんですけど、緊張していないとダメなんです。それこそ主役を踊る前は、ちょっとおかしくなっちゃいます。舞台に出れば、みんな、舞台上の私しか見ませんよね。舞台袖で、緊張で震えているところは見えないわけですが、それがバレエというものです。バレエって本当に過酷です。ベテランの方の公演で、その方たちがどうやって心の準備をしているか見るのは、とても勉強になっています。
永久メイさん
写真: Natasha Razina © State Academic Mariinsky Theatre
スプートニク:
劇場のダンサーとの交流を通して何かを感じたり、「この先輩のここがすごい」という発見はありましたか。
永久メイさん:
「愛の伝説」を踊ったとき、メフメネ・バヌー役のクリスティーナ・シャプランさん(ファースト・ソリスト)がすごくサポートしてくれました。シャプランさん自身もメフメネ・バヌー役でデビューだったんです。一緒のリハーサルは少しだけでしたが、本番前も「頑張ろうね」と励ましてくれました。そしてエカテリーナ・オスモールキナさん(ファースト・ソリスト)は、リハーサルにも来てくれて、元気づけてくれました。上のダンサーの方が、そうやって来てくれて、声をかけてくれるのは、すごく嬉しかったです。そういう方は、舞台上でも心の優しさが現れるんです。劇場内での人とのやり取りを見ても、オスモールキナさんはすごく良い方だなと思います。そのほかの方も、レッスンのときに話しかけてくれたり、私が怪我をしたと知ると、良いお医者さんを教えてあげようか、と声をかけてくれました。
スプートニク:
メイさんはアメリカやイギリスなど海外公演にも参加していますが、ツアー先とホームのロシアでは、観客の反応は違いますか。
永久メイさん:
入団したばかりの頃に、アメリカツアーがありました。演目は「バヤデール」で、2幕で象(本物ではないセットの象)が出てくるんです。そこでのお客さんの反応がすごくて、公演の中で一番拍手をたくさんもらったんじゃないかと思います。アメリカでは、すごい回転やジャンプを見たときに、それこそキム・キミンさんが踊るようなときに、とても会場が盛り上がります。芸術としてのバレエを見に来ているとは思いますが、やっぱり、アクロバティックなことをしたときに、会場が沸くんです。アメリカ人のキャラクターが出てるなと思いましたね。それに比べると、ロシア人はもっと芸術的な面でバレエを見ているのかなと感じます。もちろん、たくさん回転ができたら拍手はもらえますが、例えば古典の作品だと、以前からの作品のスタイルに合っていないと、あまり良い評価をしてくれないところがあります。オーバーすぎる演技をしてもいけませんし、ロシアのお客さんは、そういうところが目が鋭いです。
写真: Natasha Razina © State Academic Mariinsky Theatre
スプートニク:
バレエをする上で必要な消耗品や、怪我をしたときのケアなど、劇場側のサポート体制はいかがですか。
永久メイさん:
ポアント(トゥシューズ)は、4つのブランドからしか選べませんが、劇場が支給してくれます。マリインスキー劇場は舞台が古くて、床がすごくやわらかいので、怪我もしやすいです。怪我したときは、一応病院があってマッサージもついていますが、マリインスキーは団員が多くて怪我する人数も多いので、他のバレエ団と比べたら、サポート体制はそんなによくないのかなと感じます。もうちょっとここをこうしたら、と思う面はあるんですけど、サンクトペテルブルクには色々なバレエ団があって、しっかりしたお医者さんもいるので、劇場のサポートだけで足りないときは、自分で外部の病院へ行っています。レオタードやタイツなどは、自分で買わないといけません。でも、全員がレオタードを着てリハーサルしているわけではなくて、ベテランの方だと髪の毛もラフだったり、スポーツ用着で来て、そのままレッスンすることもあります。私はまだバレエ学校を卒業して2年で、レッスンのときは「上着は脱いでレオタード一枚になって、髪の毛もきちんとしなくちゃ」と思ってしまうので、そういうことは絶対できませんけれど。みんなそれぞれ、自分のやり方を持っています。
スプートニク:
日本やモナコと比べると、ロシアでの食生活は大変だと思いますが、どんなものを食べて、どうやって健康管理をしているのですか。
永久メイさん:
健康に気を使いなさい、とよく言われるのですが、どうしても食生活が偏ってしまいます。普段、自分で作るのは薄味のもので、そんなに外食はしませんが、たまにレストランに行ったりすると、胃もたれしてしまいます。ロシアに来てから胃が弱くなったなと感じます。私は、基本的に何でも食べられるんですけど、特にスイーツが大好きで、一生お菓子を食べ続けられるくらい好きです(笑)。ロシアの食べ物だと、黒パンはおいしいと思います。あとは豆腐をよく買います。でも日本の豆腐と違って、チーズみたいな感じですけど…。一度にたくさんは食べられないので、お腹にたまる炭水化物よりも、おかずをよく食べています。やっぱり日本食は恋しいですね。
写真: Natasha Razina © State Academic Mariinsky Theatre
芸術大国・ロシアを実感するメイさん
スプートニク: これからロシアを訪れようとしている日本の読者のみなさんに、メッセージをお願いします。
ロシアは素敵なところで、劇場の数も多く、芸術に関しては一番の国だと思います。毎日劇場に通う人もいて、芸術に対する尊敬の念がすごいなと思います。例えば日本なら、休日に家族で出かけるとすると、行き先がバレエの劇場ということは、ほとんどないと思います。でもロシアだと、休日に家族で来て、満席になったりします。ロシアの方にしてみれば、それは普通のことかもしれませんが。あとは、何かの記念日だったら、公演の演目も記念日の内容に合わせて少し変えたりしているので、そういう点もすごいなと思います。国自体が芸術的な国なので、劇場側もそれに応えようとしているんだと思います。日本のみなさんも、ロシアに旅行で来たら、ぜひバレエを見に来てください!
永久メイさん
Made on
Tilda