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今年日本で予定されている新しい大規模プロジェクト、フェスティバル「ロシアの季節21世紀」は、ボリショイ劇場バレエ団の公演で、その幕を開ける。公演は5月31日から6月19日まで、広島、東京、大阪、大津そして仙台の5都市で行われる。

© 写真: AFP 2017/Natalia Kolesnikova
日本のバレエファンにとって「白鳥の湖」「ジゼル」は、もうすっかりおなじみだが、「パリの炎」は今回日本初お目見えの作品だ。厳格な古典バレエと違って、1789年のフランス革命に題材をとったこの作品の中には、若々しいエネルギーや情熱そして活力がみなぎっている。このバレエの台本は、フランスの作家フェリックス・グラの長編小説「マルセイエーズ」もとに作られた。台本には、民衆による革命や情熱的な愛、ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの時代の宮廷生活の場面などが織り込まれている。
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パリの炎って、どんな物語?
簡単なあらすじは、次の通り。マルセイエーズの森へ、コスタ・デ・ボルガル子爵が狩りにやってきて、美しい村娘ジャンヌにしつこく言い寄る。そこに兄ジェロームが現れジャンヌを救うが、貴族らに因縁をつけられ彼は投獄される。しかしこれを見ていた子爵の娘アデリーヌは、ジェロームを愛してしまい彼を逃がす。一方フィリップに率いられた義勇軍は、民衆の強い怒りによって燃え上がった革命の炎を支援すべく、マルセイエーズの森からパリに向け進軍している。ジャンヌとジェロームは、フィリップに入隊を願い、義勇軍は二人を受けいれる。その事を知った子爵は、娘のアデリーヌを連れて急ぎパリに向け出発する。

一方パリの宮廷では、ルイ16世と王妃マリー・アントワネットも出席して大夜会が催されている真っ最中。優雅なメヌエットが流れる中、王朝の繁栄を祈る乾杯がなされ、将校達は王への忠誠を誓う。 その時突然、外から革命歌「ラマルセーユズ」が響いてきて、宮廷の役人や将校達は、慌てふためく。



マリー・アントワネット
パリの広場では、民衆が、ワインと踊りで義勇兵達を歓迎している。砲撃音が轟き、人々は雪崩を打って王宮を襲撃。その先頭は、三色旗を手にした農民の娘 ジャンヌだ。ついに宮殿は占拠され、炎で飾られた広場に人々があふれる。憎むべき君主制の瓦解とフランス共和国の誕生が宣言される。人々は歓喜し、祝祭は 続いている。しかし革命軍の勝利の陰で、敗北した側は残酷で不当な仕打ちを受けていた。
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スターリンが愛したバレエ
バレエ「パリの炎」の初演は、1932年11月7日、キーロフ記念レニングラード・オペラバレエ劇場、現在のマリインスキイ劇場の舞台 で、ロシアの10月革命15周年を祝い行われた。上演は成功をおさめたが、それは決してイデオロギー的内容によるものではなく、ボリス・アサフィエフの音 楽とワシーリー・ワイノーネンの振り付けによるところが大きい。作品の中では、古典的要素と民族的な創造性がうまく調和していた。なおこの作品がモスクワ のボリショイ劇場の舞台にかけられたのは、翌1933年の夏で、スターリンがこよなく愛するバレエとして知られた。実際スターリンは、この作品を10回も 見て、制作者らにスターリン賞を贈っている。「パリの炎」はソビエト・バレエの傑作とされ、数十年間、上演され続けたが、1960年代にボリショイ劇場の レパートリーから外された。この作品に対する関心が新たな活力を得るよう、新しい時代にあった演出が求められたからだ。しかし新しいバージョン誕生までに は、長い歳月が必要だった。世界的に活動するアレクセイ・ラトマンスキーが改訂版を世に問うたのは、2008年7月のことだった。彼は、主に演出の意味上 の内容を一新し、それを「いかなる革命も又思想も残酷さを正当化できない」というものに変えてしまった。言ってみれば反革命的なバレエになったわけであ る。

The Innovators:
How a Group of Geniuses, and Geeks Created the Digital Revolution
© 写真:AFP 2017/Natalia Kolesnikova
ボリショイが誇るソリスト、イーゴリ・ツヴィルコ独占インタビュー
この作品を日本に持ってきたのは、今回が初めてです。日本の皆さんがどう受け止めて下さるかとても関心があります。なぜなら『白鳥の湖』や「ジゼル』とは別のタイプのバレエだからです。私達がロンドンで『パリの炎』を上演した時、観客の皆さんは歓喜してくださいました。日本の皆さんが、どういった反応をされるか、私達は、もうすぐ知ることになります。
イーゴリ・ツヴィルコ
ツヴィルコさんは、国立モスクワ・バレエ学校卒業後すぐ、2007年にボリショイのメンバーとなった。それから10年、クラシックやモダンを問わず、あらゆる作品の主な男性パートのほぼすべてを踊って来た。
「パリの炎」でフィリップ役を踊るイーゴリ・ツヴィルコ
スプートニク:
ツヴィルコさんのバレエ人生について教えてください。
ツヴィルコさん:
学校を出てすぐボリショイ劇場には入れたのは、信じられないくらいの成功です。というのは、この劇場はロシアで最良の、そして私の意見では世界でも最良のものだからです。私は、コールドバレエから始めました。そしてソリストに転じるまでの間、私のパートのレパートリーは、40以上を数えました。学校時代夢見ていただけだった、あらゆるパートをやりました。もちろん、他のどんな仕事もそうであるように、芸術の世界でも、すべての役柄に、自分の心がしっくり入っていくわけではありません。もし役の性格が理解できなかった時は、心の中で抵抗が生じているのです。頭が偽りのシグナルを足に送り、役作りが進みません。こうした状態を克服するために必要なのは、役柄の中に、あなたを惹きつける何かを見つけ出し、本や映画を通じて、その役柄に関する何か新しいことを知り、その役を、まず第一に自分自身にとって興味深いものにすることです。そしてその後、何度もリハーサルを重ね、自分がうまく処理していると信じることが大切です。
スプートニク:
来たる日本公演はどのようなものになると思いますか?
ツヴィルコさん:
外国公演というのは常にすごいものです! もう大分長い間行っていない日本での公演が間近に迫っています。私はとても日本に行きたいのですが、それは何よりも、日本に大変深くバレエを受け止め、バレエと言うものをよく御存知の観客の皆さんがいるからです。日本には本当の意味でバレエ芸術の価値を知る方達がおられます。様々な都市で、多くの演目を上演します。加えて移動やリハーサルもあり、公演先の劇場の舞台に適応する必要もあります。ですから公演は、決して物見遊山の旅ではありません。今回私は、日本に持ってゆく三演目すべてに出ます。ですから私にとって、大変中身の濃い公演旅行になるでしょう。でも、何か自分にとって新しいものを見たり、大好物のお寿司を少しばかり食べる時間を見つけたいと願っています。これは私だけではありません。しかし肝心なのは、私達のグループが、良い気分で日本に行き、意欲的に働き、日本の方々にバレエ芸術の喜びをお伝えし、それを皆さんと分かち合う事です。
スプートニクは、「白鳥の湖」「ジゼル」の特集ページもご用意しました。
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筆者
リュドミラ・サーキャン

デザイン
ダリヤ・グリバノフスカヤ

マルチメディア
スプートニク、AFP
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