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今年日本で予定されている新しい大規模プロジェクト、フェスティバル「ロシアの季節21世紀」は、ボリショイ劇場バレエ団の公演で、その幕を開ける。公演は5月31日から6月19日まで、広島、東京、大阪、大津そして仙台の5都市で行われる。

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アダン作曲のバレエ「ジゼル」は、今年のボリショイ劇場バレエ団日本公演の際に上演される3つの演目のうちの一つだ。この演目には、3人もの振付師が心血を注いだ。物語は、感動的かつ神秘的なもので、若くて素朴な村娘ジゼルが主人公である。彼女は、全身全霊をこめ貴族の若者アルブレヒトを愛し、彼も同じくそうであると信じていた。しかしジゼルに思いを寄せる森番は、アルブレヒトが彼女をだましていることを明かしてしまう。その結果ジゼルは、愛する人の裏切りに耐えられず、ショックのあまり正気を失い、死んでしまう。

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パリからロシアへ
このバレエは、1841年パリ・オペラ座で初演され、大成功をおさめた。一年間で26回も上演されたという。翌年1842年、イタリア、英国、オーストリア、ドイツそしてロシアでも舞台にかけられた。ロシア初演は、ペテルブルク帝室バレエ団がボリショイ・カーメンヌィ劇場で行った。そして1843年「ジゼル」は、ボリショイ劇場のレパートリーに入った。このバレエの歴史には、興味深い逸話が少なくない。例えば1910年「ジゼル」は、ディアギレフの「セゾン・リュス」の枠内でパリで上演されたが、もうその時までに西欧の劇場からは、このバレエはレパートリーから外されていた。彼らは1920年代初頭までには「ジゼル」を舞台に戻し始めたが、もうそれは、もっぱらロシア的に解釈された芸術作品となっていた。
芸術とイデオロギーの対立
ソ連時代、バレエマスターたちはジゼルのストーリーを変えるように要求されていた。一般人である村人の女性が貴族階級と恋をするという主題は当時のイデオロギーとそぐわなかったのだ。
ソ連時代にも、興味深い出来事があった。あらすじの書き換えが求められたのだ。共産主義指導部は、普通の娘が貴族に夢中になるという設定が気に食わなかった。当局の中には「ジゼル」はソビエト社会にふさわしいものではなく、全く倫理に反するものだという理由で、そもそもこの作品をレパートリーから外してしまえと言うものまで現れた。
しかし結局、ボリショイの舞台に残ったばかりか、今ではロシアのオペラ・バレエ劇場のほぼすべてのレパートリーに入っている。
ジゼルを踊った名花
主役のジゼルは、多くの輝かしい、傑出したバレリーナ達が演じてきた。オリガ・スペスィフツェワもその一人である。1996年に撮られたアレクセイ・ウ チーチェリ監督の「ジゼル・マニア」は、彼女に捧げられた作品だ。
また現代の名振付師ボリス・エイフマンは、スペスィフツェワと彼女が踊るジゼルをテーマ に「赤いジゼル」というユニークなバレエ作品を創作した。このバレエには、チャイコフスキイの他、シュニトケやビゼーの音楽が使われている。
オリガ・スペスィフツェワ
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また若いバレエ・アーチストにとって、ジゼルはしばしば主演デビューの役となっている。どんな世代の観客も、このロマンチックな物語の魔力のとりことなるが、新生代の踊り手の誰もが、自分なりのジゼルを演じようと志す。

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ミルタを演じるステパノワさんインタビュー
現在のボリショイ・バレエ団を代表するプリマバレリーナの一人、ユリヤ・ステパノワは、スプートニク記者のインタビューに応じた中で「最も難しい場面は、ヒロインのジゼルが悲しみと絶望から正気を失う状態を、バレエの手法で伝えることだ」と述べ、次のように続けた―

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私は、この役は多分、バレエの中で最も面白いとさえ言ってよいと思います。そもそも大部分のアーチストには、活動するジャンルがどこであれ、皆ちょっとした狂気を持っているものです。なぜなら芸術自体、狂気を表す本当に特別の世界だからです。舞台でそんな風に踊ることは、そうした状態から脱するのに長くかかるとしても、大変面白いものです。私が知っている限り、アーチストの中には、舞台で狂気を演じながら、役柄に入り込み過ぎて、後で本当に正気を失ってしまった人もいるくらいです。
ユリヤ・ステパノワ
スプートニク:
ステパノワさんは去年までマリインスキー劇場で踊ってらっしゃいました。ボリショイに移籍後は、どうやって新しい環境に慣れましたか?
ステパノワさん:
実は私は、ボリショイ劇場が怖かったんです。なぜなら、ここではアーチストの間に大きな対立があって、そのため互いに誰も愛さずみんな悪い人達だ…といったうわさがささやかれているからです。でもそんなことは嘘だと分かりました。もちろん、他人の成功に対するやっかみというものはあります。それは人間の特性ですし…でもここの人達は、とてもいい人で、誰も嫌なことをしたりしませんし、大変な時は支えてくれます。全体として雰囲気は、とても友好的です。
スプートニク:
あなたは、今回の日本公演で「ジゼル」以外に「白鳥の湖」も踊るが、日本に行くのは、決して初めてではありませんね
ステパノワさん:
日本には今度で4度目です。最初は、ワガノワ記念ロシア・バレエアカデミーで学んでいた時です。私達は、丸ひと月、公演して回りました。これが、私にとっての「日本発見」でした。とても愉快な子供達の遠足でした。日本そのものそして観客の皆さんから受けた印象は、最高でした。
その後は、もうマリインスキイ劇場、そしてモスクワ音楽劇場と一緒に行きました。私は女友達と、リハーサルと公演の合間に、日本の通りを散歩したり、何かを見たり、何かを試したりしました。オフの日には時に、別の町に行ったりもしました。もし希望があれば、たくさんのものを見ようとすることもできます。日本は、鮮やかで太陽の陽ざし豊かな大変ダイナミックな国として、私の記憶の中に生きています。
最も興味深い事は、何度日本に行っても、毎回何かに驚かされることです。日本は決して飽きさせません。恐らく日本公演が、とても楽しいからでしょう。日本の観客の方々は、バレエを愛し、とっても真摯に感嘆して下さいます。まさにそれがアーチストに、さらなる力を与えてくれるのです。自分の技術を磨いて、新しい役柄に挑戦し、皆さんを驚かせ気に入っていただきたいと思います。アーチストにとって、最も大きな幸せは、観客の皆さんが拍手して下さる時なんです。その意味で、日本の方々は、おそらく最もありがたい観客と言ってよいでしょう。
次回は、ボリショイが日本で初めて上演する、
パリの炎をご紹介します。お楽しみに!
筆者
リュドミラ・サーキャン

デザイン
ダリヤ・グリバノフスカヤ

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