日露交流年は幸いにも12月に終わらない
幸いなことに、日露交流年は暦年と一致していない。2018年5月26日、モスクワのボリショイ劇場でプーチン大統領と安倍首相が開幕させた日露交流年は2019年の夏まで継続する。スプートニクは日露交流年の前半を総括し、最も興味深い出来事をご紹介する。
プーシキン美術館のクラシックなヨーロッパのインテリアの中で見る日本の版画は魔法のような特別な印象を放っていた。
「…出展作品の多くは東京国立博物館からの出品ですが、文化庁、千葉市美術館、板橋区立美術館などからも大変重要な作品の出品があり、そしてロシアからも重要な浮世絵を出品いただきました。この展覧会は江戸時代の絵画をほぼ網羅的に概観するもので、日本国内でもこの規模、そしてこれだけのクオリティの名品を集めて展覧会を開くことは非常に難しいことです」。

銭谷 眞美
東京国立博物館館長

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この展覧会には12万人以上が来場し、なかには珍しい絵画をこの目で見るためにわざわざモスクワまで足を運んだ人がいたことも驚きではない。

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プーシキン美術館はお返しとして、まず東京で、次に大阪で、美術館のコレクションから印象派とポスト印象派の傑作を集めた展覧会「旅するフランス風景画」を開催した。
紅葉の季節になると、今度はトレチャコフ美術館が19世紀から20世紀初頭のロシア人画家の作品を集めた展覧会「ロマンティック・ロシア」を開催した。
作品の選定はよく考えられていた。ロシアの著名な文化人の肖像画と交互に現れる風景画、そして、実在の人物からおとぎ話の登場人物にいたるまでの数々の忘れられない女性たちの姿。例えば、日本でロシアのモナ・リザと呼ばれるクラムスコイの「見知らぬ女」は多くの人の心を惹きつけた。作品名の日本語訳が「忘れえぬ人」なのも納得だ。

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交流年のおかげで、ロシア人は初めて、11世紀に端を発する日本の最も古い儀式のひとつ、流鏑馬を知ることができた。ロシア人にとって流鏑馬は日本文化の全く新しい一面である。ロシアでは、流鏑馬がスポーツではなく、神道の儀式の間に行われるひとつの儀式であることを知る人は少なかった。モスクワ中央競馬場での日本の小笠原流の公演はまさにこの儀式から始まった。
小笠原流31世宗主の小笠原清本さんがモスクワでの公演の印象をスプートニクに語ってくれた。
スプートニク日本
モスクワでのデモンストレーションのことをどうお考えですか。
小笠原清基さん
日本の伝統文化をロシアの地で、今回日本政府とロシア政府の合意の下で行うという機会ですので、小笠原流という一つの団体としてやるというより、日本の伝統文化をロシアの方に披露するという気持ちでしようと、普段以上に一生懸命やりたいなと思っています。

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もうひとつの素晴らしいイベントは、ロシアと日本の歌手が出演し、モスクワの学校の青少年ボーカルスタジオの生徒たちも参加したオペラ「光太夫」の初演である。

このオペラは、初めてロシアを横断し、女帝エカテリーナ2世に謁見した日本人のストーリーである。脚本はオペラ歌手でロシア芸術の大ファンである青木栄子氏が執筆、音楽は作曲家のファルハング・フセイノフ氏が書き、演出は音楽劇場「アマデイ(アマデウス)」の芸術監督オレグ・ミトロファノフ氏が行った。彼にとってはこれが日本との初の共同プロジェクトではない。2009年には昭和女子大学人見記念講堂で上演されたプロコフィエフのオペラ「戦争と平和」の演出を手がけている。

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最も鮮やかなイベントと呼べるのが宮内庁式部職楽部の楽団「東京楽所」のモスクワ公演である。この楽団は、千年以上の歴史を持つ雅楽というジャンルで活動する日本最大の楽団である。奏者らがこの類稀なるコンサートでロシアを訪問するのは初めてのことである。雅楽は2009年にユネスコの無形文化遺産に登録され、その歴史的かつ芸術的価値が世界に認められている。

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大規模な文化イベントのほかにも、今年は、規模こそ大きくないが、素晴らしさでは劣らない数多くのイベントがロシア人と日本人を喜ばせた。それは、映画祭や、日本の傑出した映画監督である小津安二郎や黒澤明の回顧展、アニメ・フェスティバルやさまざまなアーティストのツアー、レクチャーやマスタークラス、料理のデモンストレーションなどである。
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嬉しいことに交流年のプログラムは首都や大都市だけではなく、中心から遠く離れたロシアと日本の各地方でも行われている。例えば、ウラジオストクの第4回日本文化フェスティバルのプログラムには、日本の結婚式の実演、殺陣、秋田犬のプレゼンテーションなどが含まれていた。ノボシビルスクと近郊のトムスクとバルナウルでは「日本の秋フェスティバルinシベリア」が開催され、日本人による生け花、茶道、剣術のマスタークラスが行われた。
ロシアの芸術家も日本の各地方を訪れた。ロシアのサーカスやスヴェトラーノフ指揮のロシア国立交響楽団の公演が日本の10都市で開催されたことだけでも十分だろう。
交流年は12月に終わるのではなく、来年6月末まで続く。それはすなわち、今後もロシア人と日本人をもっと相互理解に近づけるような刺激的なイベントが盛りだくさんだということだ。例えば、2019年1月には、ボリショイバレエの日本人初のソリスト、岩田守弘氏がメインパートを踊るバレエ「信長」の上映が予定されている。

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日露交流協会の副会長である朝妻幸雄氏は、交流年の役割についてスプートニクに次のように語ってくれた。

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「まず第一に言えることは、こういう機会をつくれたことがすごく、素晴らしくいいことだと思います。なぜかというと、交流年ということをやらないとなかなか日本は真面目にロシアを見ることをしないんです。ですから、こういう機会を両国の政府がつくってくれた。結果として私たちが、ロシアについてはこういう素晴らしい面があるんだと、文化も改めて見直したら本当にすごいんだ、それから経済の面でも新しい提案がたくさん出てきてると、そういうこともちゃんと知る。そういう機会をつくってくれた。それが要するに日露交流年だと思うんです。それを日本は上手く、ロシアもそうですけれども、お互いにいい意味で利用してもっと次の段階に上げていく必要があると思うんですね。」

朝妻幸雄
日露交流協会の副会長
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